離婚の理由と原因 夫の育児への非協力的な態度。夫の精神的DV。
子どもの有無 1人。5歳の娘
アドバイス 養育費の取り決めは公正証書にすればよかったと、絶対に後悔することになります。

私が離婚したのは28歳の時でした。一つ年下の夫と5歳の娘、会社員の夫両親、祖母と暮らしていました。私と夫は公務員でしたが、若かったので年収は二人で500万くらいだったと思います。

夫の父は会社員でしたが役職があったので、世帯年収としてはかなりあったと思います。

夫の役割はなんだろう

離婚を決めた一番の原因は、夫が子どもの面倒をみないことでした。本人は見ているつもりでしたが育児ではなく、他人の子どもをかまって遊ぶに近いものでした。おむつ交換は1度もしませんでした。

自分の機嫌のいい時にだけ遊んで、泣いたときは「うるさい。何とかしろ」私が子どもを叱ると「叱りすぎだ。かわいそうだ」と好き勝手。私が美容院や歯医者へ行くときも、子どもの面倒を見てくれないため、いつも一緒に連れて行きました。

また、そんな夫をみていても注意しない義両親にも不満がありました。姑は40代でしたので育児は協力的で、家事もほとんどやってくれました。しかし逆にそれが夫が育児をしないで済むことにつながっていました。

離婚のもう一つ大きな理由は、私への精神的DVでした。気に入らないことがあると物に当たったり、舌打ちをしたり、夫婦生活の強要や「俺の前を歩くな」「俺のいるときに出かけるな」「弁当を作るのは妻の仕事だ」「体を貸せ」など言われたりもしました。

当時、子どもは保育園の年長でしたが、このまま小学校に行っても父親としての役目は果たさないだろう、このままこの生活を続けるのは無理だと思い離婚を決断しました。

泥沼の話し合い

離婚の話し合いで一番もめたのは、舅姑が離婚を認めなかったことです。夫が出張でいないときに夜な夜な何時間も話し合いをしました。

手に職あるからいつかそういうと思っていた」「家事なんて全然しなかった」など責められ、舅姑も弁が立つので言葉がきつく精神的にかなり参りました。慰謝料はなし、養育費は払う、親権は私ということにしました。

形に残せばよかった

公正証書を作りたいと言ったら、「なんで、第三者を通す必要があるのか」と取り合ってもらえず、口約束で終わってしまいました。

養育費は最初の数か月は支払われましたが、その後支払いはなく、養育費は子どものためのものと説明して「ものれんに腕押し」状態で、正直連絡を取ることも苦痛だったので子どものための貯金を解約してもらうことで、養育費をなしにしました。

でも、今思えば何が何でも公正証書にしておけばよかったと思います。

離婚は私のわがままなのか

離婚を決めたものの、私が思っている理由が離婚の理由として認められるのか不安でした。そのため市の相談センターに相談に行きました。そこで離婚の理由になること、子どもにとって両親そろっていることが必ずしも幸せだとは言えない、親の精神状態は子どもにも影響を与えるとアドバイスを受け、改めて新しい人生を歩もうと思いました。

離婚の手続きは全て自分でやりました。事前に、本やネットで調べましたが、離婚届を出しに行った時に係の人が、詳しく教えてくれました。家庭裁判所に子どもの氏の変更にも行きました。書類を書く手が震えましたが、意外と簡単でした。離婚を決めてから、離婚届を出すまでに1か月でした。

離婚を決めたときに、すでに引っ越し先や生活の目途をつけていました。職場や小学校、保育園などを考慮してアパートを探しました。とにかく早く家を出たいという思いが強くありました。離婚が決まらなかったらしばらく別居でもいいと考えていました。今思うと、よく一人で行動できたと思います。

離婚してよかったこと、後悔していること

離婚してよかったことは、精神的に楽になれたことです。夫の束縛や暴言から解放されホッとしました。後悔していることはありません。ただ、手続きのことでいえば、公正証書を残さなかったこと、旧姓に戻さなかったことです。

子どもが自分の名前を言えるようになっていたし、再婚するつもりもなかったので、姓を変えませんでした。でも、やっぱり気分的に嫌でした。今は、再婚しましたが、戸籍上は本名ではなく最初の結婚の姓で入籍したことになっているため、今の夫に申し訳なく思います。

離婚する決意をしたら、下準備は念入りに

離婚を決意するのは、そう簡単なことではありません。結婚する時よりはるかにエネルギーを使います。離婚を考えたら、公的機関などへ相談してみるといいと思います。またネットや本などで情報を集めたり、今後の生活資金や子どものことなどを考える必要があります。

私は離婚を決めてから夫に「やり直そう」と言われましたが、そんな気持ちは全くありませんでした。最後は自分の意志だと思います。どうすればいいのかではなく、どうしたいか考えてみるといいのではないでしょうか。