親権を失っても諦めてはダメ。離婚後も継続する努力が大切。
離婚の理由と原因 お互いの不貞行為。夫のDV・モラハラ。
子どもの有無 1人
後悔 親権問題。実母への経済的な負担。

私が離婚を決めたのは20代前半の頃です。

当時、旦那は20代半ばで長男が2歳3ヶ月でした。

サラリーマンをしている旦那は年収が450万円ほどあり、私は専業主婦をしていました。

積み重なった我慢の限界

私が離婚を考えるようになったのは、旦那の浮気からでした。浮気をされてから喧嘩が多くなり、物を投げられたり暴言を吐かれたりして我慢の限界を迎えました。

旦那にされていた数多くの行為を相談していた友人に惹かれ、この人と再婚したいと思うようになり離婚を決意しました。

息子のことを考えると離婚しない方がいいのではないかと思ったのですが、旦那がゲームをしていて小さい息子が邪魔をすると殴っていた姿をみて、揺るがない決意へと変わりました。

進まない話し合い

話し合いは私の母親を交えて話すことになりました。私と旦那はお互い不倫ということもあり、離婚することに関しては話がスムーズに進みました。

しかし息子のことに関しては話が進まず、どちらも親権が欲しいと主張をしていました。私の母も私に親権をあげて欲しいと説得したのですが、旦那も譲らず結局1日では決まりませんでした。

そして話し合いではラチがあかなくなり、家庭裁判所で調停を行うことにしました。

悔しい結果

調停を行うことになり、その間息子は旦那の実家へ預けることになりました。私が無収入という点や不倫ということで、親権は旦那に決まりました。

慰謝料の請求はお互いにせず、貯金は子供のために全て旦那に渡しました。面会は好きな時に連絡をということで、養育費は月3万円ということで話し合いは終わりました。

友人の大きな一言

友人には全ての事情を話しました。涙を流してアドバイスをたくさんしてくれました。

「親権は取られてしまったけれど、誠意を見せ続けていつか一緒に暮らせるように頑張ろう」と応援してくれて、それから毎月手紙を息子と旦那の両親へ書くことにしました。

どれだけ息子を愛しているか、成長の様子や日々の生活について聞きたいと手紙を出し続けました。友人のアドバイスのおかげで、今でも旦那の両親とは関係が良好です。

長かった離婚届

調停をしていたので離婚届を書くだけでしたが、別居状態で旦那の本籍地が遠く戸籍謄本などを取る手間がとてもかかりました。私自身も本籍地から離れていたので、お互い郵送でしなければなりませんでした。

旦那は協力するはずもなく、役所には全て私が連絡をして取り寄せました。離婚は確定しているのに、受理されるまでに使った時間は3ヶ月ほどでした。

不安がなくなった日々

息子とは離れて暮らすことになってしまいましたが、毎日暴言や物を投げられるなどの不安から開放されました。それまでは旦那がいるとビクビクして夜も少しの物音で起きてしまう生活だったので、久しぶりにゆっくり寝ることが出来ました。

気持ちがスーッと軽くなり、新たな人生に期待と息子と一緒に暮らすことを目標に明るい気持ちで頑張ろうと思えました。

ゼロからの人生

専業主婦だったので、何もない状況からのスタートでした。仕事や住む場所や日々暮らしていくお金もなく、母に迷惑をかけるしかありませんでした。

離婚する前は、自分の好きな物を買えたり不自由のない生活だったのでお金のことに関しては後悔しました。

慎重に考えること

私は相手の浮気を知り、感情に任せて離婚してしまった部分があります。離婚を考えているのだから大きな問題があるのはもちろんですが、ゆっくり考えてみることも必要かと思います。

両親や友人など相談できる人にはたくさん相談してみてください。相談してみて気付くこともきっとあります。そして諦めないことです。私は親権を失い、息子と離れてしまいました。

それでも諦めず気持ちを伝え続けた結果、今は一緒に暮らすことを許していただけました。

相手が理解してくれないのではと諦めずに気持ちを伝えてみる事が大切です。

私の離婚体験談を通して何か伝わることがあえれば幸いです。