血縁関係を切るための離婚
離婚の理由と原因 相手の父親のお金の使い込み。借金。
子どもの有無 3人
アドバイス 親権問題は、将来の子どもの生活までを想定して、簡単に譲ってはならない。

離婚を決断したのは40代でした。

夫は自営業の2代目で、引退した初代と義理の母が同居し私の子供は小学生が3人です。

暫くは7人家族で楽しい暮らしが続いていました。

義父の不可解な行動

夫の実家は食品店を経営していました。

2代目の夫はお店でお客さんの接客をし時間が空くと、お惣菜を持って外へ売りに行くという営業を行なっていました。

ある日、私がパートから戻ってくると初代父が玄関先で立って待っていました。「今日、給料日だろ、金くれ」と言うのです。

何か必要なのかもしれないと思い、お金を渡しましたが、夫に聞くとそのお金が何の金か分からないようでした。

子どもの給食費が払えない

それから父のお金の回収の仕方が頻繁になっていき、ひどい時には子供達の給食代も払えないようなこともありました。学校では、子供達が職員室に呼び出され、嫌な思いをしたこともありました。

母親として何とかしてあげたいと実家からお金を借り学校に払うことも度々ありました。

自宅では義理の母も父のいいなりだっため、なぜこんなに義父がお金を必要としていたのか謎のままでした。

理由が発覚

義父の親戚がお金の回収に来られた時に、やっと事の真相が分かりました。

昔バブルの時に、繁盛していた商店街の流れに乗り、お店に大きな冷蔵庫を入れ、お店を大きくしました。その時に、親戚中から借金をして、今まで返さずにいたものでした。

また金融会社からの借金や税金の滞納もかなりありました。

父は私達に何も言わず、親戚から借金を重ねながら、生活していたのです。同じ家に住んでいるのに、私達は何も知りませんでした。

義の見栄のため

父は私達が働いたお金を、羽振りよく使い町内会の集まりでも差し入れを派手にしていたようです。町内会の集まりがあった次の日に、いつも知り合いから「ごちそうさま」と声をかけられ、また昨日も差し入れしたのかと思うような日々でした。

それでも生活していけるのであれば、何とか借金の返済に回していけるのならと考えたのですが、子供の学資保険、生命保険の解約を父に黙って手続きされた時、私の我慢の限界を超えました。

私達の子供達の未来はどうなってしまうのか?子供達には、高校・大学で勉強させてやりたい、という私の夢は、消えたように思えてしまいました。

夫は家族だから、これからなんとかなるかもという言い方でしたが、自営業の方からの利益は年々減り商店街も衰退していました。

別居生活

親戚の借金の取り立ては毎日のようになり、私は子供達を実家に連れていくようになりました。別居をはじめるとこのまま実家に暮らした方が幸せになれるのかもしれないと毎日考えていました。

そんな時に夫の両親が、「孫を取られた」と近所に言ってまわり、近所中の噂になったことがありました。この時、私は離婚の決心をしたのです。私と夫が他人になれば、子どもたちの生活が守られるのではないかと考えたのです。

夫は、「離婚しないで欲しい」とは言いませんでした。私は子供3人の親権を取得して自分で育てるつもりでしたが、一番上の子供は義理の両親に後継ぎだということを洗脳されていたためそのまま残ることを自分で決めてしまいました。

本当であれば3人全員の親権を取得すること理想でしたが、ひとりは諦めるしかありませんでした。

離婚交渉

養育費については、私が一人多いため一人分の養育費を払ってもらうことになりました。

本当であれば公正証書にしたかったのですが、相手の両親が介入してくると面倒なので、離婚協議書に残すことで妥協しました。

元々は夫が直接的な離婚原因ではなかったこともあり、慰謝料はお互いに無しで、財産分与についてはすでに貯金や保険などもなかったので、何もない形で決着しました。

後悔は親権について

その後、夫の実家に残してきた子どもはとても苦労したようです。あの時無理にでも親権を主張して、離婚調停や離婚裁判をしてでも親権を主張すればよかったと、とても後悔しています。

残ると自分で決断したとしても、所詮は子どもの考えです。しっかりと説得して私が引き取ることを認めさせるべきであったと後悔しています。私の離婚体験談から言えることは、親権問題は将来の子どもの生活までを想定して簡単に譲ってはならないということです。