山形市の離婚相談

離婚するかしないか・・・簡単に結論を出すことができないのが離婚です。

そんなときに、親権、養育費、慰謝料、財産分与などの悩みごとを離婚問題に詳しい専門家に相談をすることで、正しい離婚を選択をすることができるかもしれません。

また悩みに悩んで離婚した後、あなたがやらなくてはならない手続きはたくさんあります。

例えばお子さんがいるご家庭では、『児童扶養手当、ひとり親家庭等医療費助成』などの手続きは忘れてはなりません。

また国民年金、国民健康保険、名字の変更といった手続きも必要になります。

そこで山形市内で開催される離婚に関する無料相談と離婚に関わる各種手続きについてご紹介していきたいと思います。

公的機関である役所で行われる相談は、原則無料相談ですので、離婚のことで気になることがある方はぜひ活用することをおすすめします。

ただし相談する前には、予約方法、日時、相談内容などは事前に確認ください。

山形市で利用できる無料の離婚相談

まずご紹介するのは、山形市内で開催されている無料相談です。

1.弁護士による法律相談

ふれあい総合相談所の弁護士による法律相談です。予約方法・日時などは予約時にご確認下さい。

開催日:週1回程度。詳細は社協HPをご確認下さい。

会場・問合せ先:山形市社会福祉協議会

電話:023-645-8177

2.人権相談

人権擁護委員による相談です。詳細はお問合せ下さい。

開催日:月1回程度。詳細は社協HPをご確認下さい。

会場:

問合せ先:山形市社会福祉協議会

電話:023-645-8177

3.ひとり親・寡婦・婦人相談

DVなど各種相談が可能です。詳細はお問合せ下さい。

開催日:平日

問合せ先:こども保育課児童相談係

電話:023-641-1212(内線:574・579)

また上記以外でも弁護士会、法テラス、家庭裁判所などでも無料相談が開催されています。

詳細は「【離婚相談】あなたのまちの無料相談」で確認下さい。

離婚の手続き

では次に、離婚後に役所で必要な手続き(離婚手続き、年金、国保、児童扶養手当、医療費助成など)についてご紹介します。

離婚届の提出

原則開庁時間内に受付となります。開庁時間以外は預かりの対応となり、不備があると修正して再提出する必要があります。可能であれば、開庁時間内の提出がおすすめです。

問合せ先:市民課戸籍係

代表:023-641-1212(内線:347・348)

離婚届を出す前に、まずは必要書類、受付時間を必ず確認しましょう。

協議離婚なのか?裁判離婚なのか?離婚後の名前はどうするのか?

などで必要書類が異なりってきますので、2度手間にならないようにじっかりと事前準備しましょう。

離婚時の年金手続き

□離婚時の年金手続き

離婚などで厚生年金から国民年金に切り替わるときは、手続きが必要となります。

用意するもの

1.本人の年金手帳(又は基礎年金番号がわかるもの)

2.社会保険喪失証明書など(扶養からはずれた日がわかる書類)

3.離婚日がわかる書類(戸籍謄本など)

4.印鑑

問合せ先:市民課国民年金係

電話:023-641-1212(内線:401~404)

また保険料の支払いが厳しい状況のときは、保険料の申請免除制度がありますので、未払いで放置するのではなく役所にご相談下さい。

年金事務所

山形年金事務所では、年金相談が可能です。

所在地:山形市あかねケ丘1-10-1

受付時間:平日:8時30分~17時15分

電話:023-645-5111

離婚時の国民健康保険異動届手続き

離婚などで国民健康保険に切り替わるときは、手続きが必要となります。

問合せ先:国民健康保険課

電話:023-641-1212(内線:362)

山形市のひとり親家庭の支援

◯こども福祉課

・児童扶養手当
・親子健やか医療(ひとり親家庭等医療給付制度)
・山形市健やか教育手当

電話:023-641-1212(内線:575)

◯こども保育課

・自立支援教育訓練給付金
・高職業訓練促進給付金
・高等学校卒業程度認定試験合格支援事業
・ひとり親家庭生活応援給付金
・母子父子寡婦福祉資金貸付
・ひとり親家庭住まい応援給付金
・JR通勤定期券の割引

電話:023-641-1212(内線:574、579)

◯障がい福祉課

・特別児童扶養手当

電話:023-641-1212(内線:589)

山形市役所※相談の日時や予約の確認は、山形市役所ホームページでご確認下さい。


開庁時間:平日:8時30分~17時15分

所在地:山形市旅篭町2-3-25

代表:023-641-1212

山形市の離婚事情

山形市の離婚件数の推移です。

平成元年:239組
平成5年:266組
平成10年:351組
平成15年:456組
平成20年:435組
平成25年:381組
平成26年:368組
平成27年:354組

次に母子家庭世帯の推移です。

平成12年:890世帯
平成17年:1136世帯
平成22年:1264世帯

離婚エピソード:『離婚という言葉は必要ないと思っていた愚かな私』

結婚は、女性の最大の憧れであり幸せになるのが当たり前だと思っていた愚かな私の離婚劇です。

付き合って6年目で結婚が決まりました。相手は、同じ会社の同僚です。

男性社員の多い職場だったことから、たくさんの男性から声をかけられました。自慢ではありません。本当に女性が少なく、その会社に部長で私の叔父も居たからです。

いわゆる忖度もあったのかもしれません。

しかし、前夫とは私の方から声をかけました。口数が少なく穏やかな男性だと思ったからです。職場の皆も付き合う前から私に前夫の実家の情報などを教えてくれる先輩もいました。

その家が、資産家だとかは私には一切関係ありませんでした。結婚は本人同士が愛し合っていたらそれで良いのだと、そして幸せになれるのだと夢見る夢子さん状態でした。今思えば本当に浅はかでした。

結婚前に嫁ぎ先の家にご挨拶に行ったとき、何となく私がここに嫁ぐのかと思ったら不安になってきました。その家が、資産家だとかは私には一切関係ありませんでした。

すごく胸が苦しくなり毎日不安だらけで、前夫は結婚してから徐々に別人のように変わっていきました。

子供が出来無かった私は、毎日、姑から○○さんの所はあなたより後に嫁いだのにもう子供ができた。初孫が見たい。病院に行ってみたらなど私が傷つくようなことを平気で言ってきたのです。

姑からしたら当然なのかもしれませんが、凄くプレッシャーになりました。前夫に姑は一切子供のことは言ったことはありません。

テレビドラマでも嫁姑のバトルがありますが、私の場合は、姑プラス小姑、前夫の叔父叔母達と私一人では無理な話です。誰も味方が居ませんでした。

自分の親にもなかなか連絡が出来ず、気づいた頃には心が壊れて行きました。

一年に数回、母親に電話出来た時は、声を聞いただけで涙が出てきてしまい、母親に何も伝えられずに電話を切っていました。

離婚を決定的にしたのは、母方の祖母が亡くなった時です。祖母の通夜に間に合うように義両親にお願いして一人母方の実家に向かいました。

そのとき前夫は休日で家にいましたが、一緒に行ってはくれませんでした。行かないと言われて、理解が出来ませんでした。

私は、結婚後も別の職場で仕事をしていたので、お通夜だけ出席して翌日家に戻りました。

そのときに、姑からお通夜の日はどこに泊まったのかと聞かれたので、当然、お通夜は亡くなった祖母の側にずっといましたと伝えると、死に神を連れてきたと酷い言葉を言われたのです。

私は、びっくりして何も返す言葉がありませんでした。もう無理、いろいろ嫌な事はたくさんあっても我慢は出来たが、私の身内に対してあまりに酷すぎる。

このままいたら実家の両親に対しても何を言われるか、前からちくちくと言われていたが、もう限界、私自身も精神的におかしくなり、前夫に離婚届を出しました。

前夫は離婚届を破り離婚に応じませんでした。別れたくないのではなく、世間体を気にしたのです。すぐに分りました。

離婚届を何枚も書いては破られました。なぜ。別れたいのかなど一切聞いてきません。

子供が駄々をこねるように離婚届を破っては知らん顔。最終的に私は、舅に話をして家を出ることにしました。舅は泣きそうな顔で私を見ていました。離婚が正式に決まるので半年近くかかりました。

私自身、一人で歩く事が出来ないくらいに衰弱してしまい、精神科に通院する日々が続いたからです。

離婚して数年たって冷静に昔の自分を振り返ってみると、嫁ぎ先が悪いのではなくて、私の世間知らずが招いた結果だと思いました。

今は、義両親にはいつまでも長生きしていただきたいと思っています。前夫に対しては、とっくに夫婦関係は終わっていたのに私が気付かなかったのだと。

それも世間知らず過ぎて、私が愚かだった。今は、再婚して昔の事を今の夫に話をしたことがあります。

なんと、前夫には女が居たと言うのです。仕事が忙しいと家に帰って来ない、携帯電話は決まった時間になると通じないなど、夫婦の記念日には友達と約束があるからと旅行に出かけたり、普通分るだろうと言われました。

私には、前夫が浮気するなどという考えは全く思いませんでした。疑うなど微塵も思わなかったのです。

今では離婚して良かった思います。今の夫に出会えたからです。何でも言い合える夫婦で、贅沢は出来ませんがとても幸せです。

いつまでも二人で長生きしようねとお互いを思いやっています。